研究資料

エスノメソドロジーについて

科学とは端的に言えば、再現性を特徴としたものを指します。それはたとえば、個体から液体へ、液体から気体へ変化する物質の仕組みを理解するものと同じです。

一つひとつの特徴を理解したうえで、仮設を立て検証します。理論通りに立証できれば、仮説を裏づけする証明にもなり、説得力も増します。このような科学の流れは、裏を返せば再現性のない方法論は科学的根拠がないという風に捉えられてもなんら不思議ではありません。科学的根拠という点から逆説的にイメージされる、「都市伝説」「超常現象」などのいわゆるオカルトの類は科学を通していまだ証明されておらず、単なるうわさ話として考えられてもおかしくはないのです。

しかし、科学はもう一つの側面も持っています。今回は、その側面についてご説明いたします。

心理学に対するカントの主張

科学の領域にさまざまな学問があるなかで、心を扱う学問もその1つです。しかし、哲学者として有名なエマニュエル・カントは「心理学は科学に値する学問ではない」という持論を述べました。

カントの主張をざっくり説明すると、心理学は数学的な絶対性が含まれないとのこと。そのため、立証しようといくら試みても、絶対的に再現できるとはいえず、根拠を欠いてしまうといいます。また、有効性の高い研究であったとしても、人それぞれの個性によって結果は変わります。こうした変数の影響による心理学的理論は科学に値する学問ではない、とカントは主張します。

エスノメソドロジーとは

心理学の研究が進んでいるといえ、絶対的な再現性をもっているかというと、首を縦に振ることは難しいでしょう。しかし、社会を構成する成員(「人」を意味します)によって、作られた社会を外側から分析しようとする時、仮説云々の話にならず、その社会構成を知ることが優先されます。

エスノメソドロジーを学問として体系化したハロルド・ガーフィンケル。彼によれば、たとえ科学的立場にたって理論づけたとしても、本来そこにある内容とは一致しづらいというのです。以下に引用します。

すわなち、研究者が自らの学問的立場かを一方的に押し付けるのではなく、そこで生活している人々のあるがままの姿を把握する必要性が強調されたのである

エスノメソドロジー研究において、理論よりも経験的知識や実践方法を用いいるため、どんなに説得力のある仮設が経てられても、「そこにいる生の声」を聞くまでは意味を成さないのです

Kは精神病

エスノメソドロジー研究において興味深い研究があります。ドロシースミスの執筆した、「Kは精神病–事実報告のアナトミー」において、学生が提出したレポートの内容(Kという人物が精神病に至るまでの過程)を改めて分析した論文があります。

調査者の受け取り方の違いやKという人物の存在がだんだんコミュニティ内から切り離されていく過程が記載されています。以下に引用します。

かくして読み手/聞き手は、性格と振舞いについてのこの記述集をどう解釈することで、人々の輪にどう境界線が引かれ、必然的に彼女を除外してしまうか最初から考える必要がある。つまり、記述することがそのまま「切り離し」手続き(中略)になるように入念に記述しなければならない。

常識とは

ここで考えるポイントとして、「常識」と何かと僕は思います。現場によって価値観が異なり、そこにいるコミュニティ内の価値観というものが存在します。そこから、一般的にいわれる「常識」が通用するかを考えれば、必ずしもうまくいかないことは目にみえるでしょう。

常識に則って、活動すれば周りからの評価も賞賛得られる一方、常識から逸脱したと判断されると、そこからどんどんコミュニティ内で恣意的な切り離し行為が行われる、ということをドロシー・スミスは主張しています。

このことから、物事を正しく受け取り正しく導き出すためには、外からの研究ではなく、対象者と同じ立場にたってそのフィールド内での研究が限りなく科学的根拠をもつと言えるのではないでしょうか。

——参考書籍&サイト——

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